深江の地域について

万葉集「笠縫の島」

四極山
うち越え見れば
笠縫の
島漕ぎ隠る
棚なし小舟

万葉集巻三におさめられている高市黒人の和歌です。
「笠縫の島」とよばれているこの和歌は
現住吉区から東住吉区南東部からみたら河内湖の笠縫島を眺めて詠んだと推測されています
深江地域は万葉集でと詠まれているように
平野側と旧大和川に挟まれた地域で、湿地帯でした。
今では、深江稲荷神社に「笠縫の島」の石碑があります。

交通の要衝としての深江

深江は摂津と河内の国境にありました。
南には高麗橋を起点した暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)がとおっており、
南東へ十三峠越えの街道も分岐する交通の要衝でした。
江戸時代に入ると、伊勢街道の起点としてお伊勢参りをする参拝者でにぎわっていました
お伊勢参りが流行した折りには一日7万人がこの道を通ったという記録もあります

菅細工(菅笠座)の街

大阪は
なれてはや玉造、
笠を買うなら
深江が名所、
ヤットコセー、
ヨーイナヤー

深江は良質の菅草が豊かに自生する浪速の一島でしたが、大和国笠縫邑(やまとのくにかさぬいむら)より、笠を縫うことを仕事とした一族が移住し、代々菅笠を作ったことから、笠縫島といわれるようになりました。
以後、歴代天皇御即位、大嘗祭(だいじょうさい)の時をはじめ、20年に一度の伊勢神宮式年遷宮に使用する菅笠はすべて深江で作り献納してきました。
江戸時代には大阪玉造の二軒茶屋を起点として、伊勢音頭をうたいながら、集団で参宮したものですが、人々は道中安全を願って深江で菅笠を買い求め賑やかに旅をしました。
深江稲荷には「摂津笠縫邑跡」の石碑と「深江菅笠ゆかりの地」の石碑があり昔菅笠づくりで盛り上がっていたころを語っています。

歴史を伝える寺社仏閣

深江は鎌倉時代から室町時代にかけて四天王寺三昧院領の荘園・新開庄(しんかいのしょう)がありました。
また、融通念仏信仰をひろめ、その中興の祖とされた法明上人の生地とされる法明寺、
笠縫部(かさぬいべ)との関係が深く、境内が「笠縫邑跡(かさぬいむらあと)」「深江菅笠ゆかりの地」として大阪市の史跡に指定されている深江稲荷神社、
明応年間(1492~1501)に創建され、明連上人画像などが存在する真行寺など廃仏毀釈や戦火を逃れた歴史を伝える寺社仏閣が残っています。

  • 真行寺

    真行寺は『東成郡誌』によれば明応年間(1492~1501)の創建という。
    本願寺10世門主証如の『天文日記』には、深江の光専寺・深江の明西が登場し、本願寺教団の教化がすでに及んでいたことがわかる。
    真行寺に伝来する史料は『天文日記』よりやや下る慶長16年(1611)の蓮如画像と木仏裏書で、いずれも「深江村」の宛所が記載され、
    本願寺派の12世門主准如が証判しており、深江の地に伝来する最も古い歴史資料と思われる。
    また、蓮如画像は像容に特色があり、眉は太く鼻筋が通り、面長で精悍な容貌を示している。
    あまり類例がなく、蓮如の肖像画としても希少と考えられる。
  • 法明寺

    平野大念仏寺で中興の祖と仰がれている法明上人は、
    幼くして両親と死に別れ、妻子をも流行り病で相次いで無くすというに運にこの世の無常を感じ出家した。
    高野山、比叡山と修行を積まれ、ついに弥陀に救いを求め、
    資材を投じて東都に清原院法妙寺を開く。
    文保2年(1318年)境内に雁塚の石塔がある。
    弟正次がい落した二羽の雁の親子か夫婦の愛情に深く打たれ、折衝を悔いて手厚く弔ったのち出家したと伝わる。
  • 深江稲荷神社

    賀御魂神ほか二柱を奉斉する旧深江村の氏神で、
    和銅年間(8世紀前期)の創建といわれ、慶長8年(1603年)豊臣秀頼が社殿を改造したとも伝えられます。
    笠縫部との関係が深く、現在境内が「笠縫邑跡」「深江菅笠ゆかりの地」として大阪府、大阪市から史跡に指定されています。

深江地域と水害の歴史

顧ミレバ
明治十八年六月三十日
洪水摂河ニ氾濫セシ…
我ガ深江村モ亦
其厄ヲ免ルル能ザリキ…
爾等ノ深ク以テ
誡トナサンコトヲ

深江地域は平野川と旧大和川に挟まれた低湿地帯であったため
雨が続くとたびたび洪水がおこりました。
特に明治18年(1885年)6月に発生した淀川洪水は未曽有の大水害で
大阪市の大部分は泥の海と化しました。
現在でも、大切な品を水害から守るため、石垣でだんだんに高くした倉「段倉」や
深江郷土資料館本館に保存されている石碑には、明治18年の淀川洪水の様子が彫られており
深江と水害との歴史を知れます。

深江まるごとミュージアム

深江まるごとミュージアムは、深江の歴史を知っていただくために菅田の作成・管理や
深江の街に保存されている文化財の案内板、道しるべなどを作成し皆様に深江の歴史を知っていただける活動を行っています。